ガリレオの時代にガリレオになりたい人がいたでしょうか?

 「…誰かがコーヒーを飲みながらあなたを"大嫌い"…」他、際限なし。

 動く星に初めて気がついたのは小学6年時の子供会・夜祭のとき、10くらい見付けたでしょう。大人の男性が「人工衛星じゃないか」と言いました。

 長い間そのことは忘れていたのですが、数年前から早朝に朝刊を取りに出るようになり、たまたま空を見上げたとき、その空で一番明るい星が動いていました。当然、観ていると、減光し出して消えてしまいました。雲などに隠れたのではありません。すぐ別の方角を見ると、同じくらい明るい星が動いていて、これも同じように減光し出して消えてしまいました。

 これは何か私の真理探究と関係があると思い、それから後は早朝に空を見上げていますが、夏は夜明けが早く、蚊が来る季節はあまり観られないし、数十秒ほど観ている間に見つけられなければ、すぐ家に入っています。そうして、何度も不思議な星を観ましたが、"はじめに"に書いたことも起きた訳です。

 後から思えば、動く二つの星を見つけたときの数年前、夜に出かけていたとき、空全体が一瞬光ったことがありました。雷のような音はありませんし、光り方が経験的に雷とは違う。そのときは気のせいだと思ったのですが。

 新聞を取りに出るときは不思議と雨が止んでいる、ということも増えました。曇り空でも、雲の様子が私の上空は他と違うのでは、と思うことも多いです。

 撮影すれば?と思われるでしょう。特に不思議な10くらいの動く星の塊が三日くらい続けて同じように出たとき、撮影しようと機器を持って外に出てみましたが、その星はそれ以降出なくなったことから、撮影しないからこそ起きている事象だと思っています。

 そして、2024年、動いている星が静止しました。「正統」の科学者はこれを「科学的」には説明できないでしよう。「見間違い」「勘違い」などのレッテルを貼ったり、無視することしか出来ないのではないのではないでしょうか。そのような態度は地動説以前の人たちと変わらない?

 私は、空間が何であるかを含め、宇宙の成り立ちを説明できます。動く星が止まるのは、それを説明できる真の理論を得たからである、と正々堂々誰も注目しない中で断言するのです。