現在の日本は戦時中と同じです、
日本人でない大日本帝国人が日本を支配していたように、
創氏改名は1939年です、
日中戦争後であるということ、
謀略はいつの時代においてもあり得るというのが現実主義ですが、
謀略を疑っている人に「歴史修正主義」のラベルをはる人は
大量の国債が証明してしまいました、
日本憎し、が、
物価高の現在になっても
「デフレ脱却」と言わねばならないことになってしまった
インチキ日本人。
政府の無能を証明し、
金利を上げなければ物価高が進行し
政府の無能を証明する。
「デフレ脱却」と言わせるためにも。
支配があるならば謀略を疑われても仕方ないのではないでしょうか。
支配は、法の支配だけであるのが人類の理想であったしあるべきであると存じます。
「謀略を疑うな」という謀略はあってはなりません。
自由・民主主義とは法の支配の下で謀略を疑う自由も行使し民主主義を実行する、ということではないでしょうか。そして、
謀略か謀略でないか、が水掛け論に堕さないためには、
"結果"が決定的であるということです。
結果が良くないのに「謀略を疑うな」は、
支配のための謀略があったと疑われても仕方ないでしょう。
謀略を疑っても実力的行動を起こさない限り犯罪ではありませんが(その段階をも「政治犯」とされるのは論外として)、
謀略を疑わない方は、その時点で"共犯者"である可能性がある、という構造にも着目してください。
騙された、等と言うためには、生命の危険が伴っていたことは、最低限必要だと存じます。その意味で、専制主義国は却って国民に甘いのであるとも言えるでしょう。
民主主義である責任とは、そのようなことを含んでいるはずです。